習い事考
5歳の娘の習い事は、本人の意志で始めた楽器ひとつ。幼稚園のお友達で習い事3つ4つはあたり前、中には週5日習い事という強者も。娘は、私の仕事の都合で夕方まで幼稚園で預かっていただいているので、子ども同士の遊び場が確保されるのは有難い。それでも何度か「〇〇ちゃん、帰宅後習い事なしで何してるの?」と聞かれたことがある。何してるのって。。。
”よみかきそろばん”とか”ドレミ”とか、早く習い始めることで世界を広げたり深めたりできることはあるだろう。でも、文字やドレミを知る前の音や言葉の聞こえ方は、知った後の聞こえ方とは明らかに違うはず。形を与えられる前の混とんとした?世界でどれだけ遊んだか、、、ずっと先の豊かさにつながるような気がするのだが、はてさて。娘がおばあさんになるころには私はいないので答えは分からない。
いずれにしても記譜された”西洋音楽”の歴史は、人類の歴史に比べたら大した長さではないし、平均律のドレミに分割された音楽の歴史も地球上のごく限られた地域のもの。と考えると、急いで教えることでもないと思う。画家も音楽家も、行きつくところまでいくと結局、原始時代とか辺境の地とかに題材を求めている。
でも、、お利口さんなお友達とのお手紙交換のためにいつの間にか文字は覚えてしまったし、ドレミも同様。いやはや母としては嬉しさよりも寂しさが、、、人生100年時代と言われているのに所謂”子ども時代”がどんどん短くなって、人は何に向かっているのだろうか?