10代のあなたへ~晴耕雨奏のススメ

土いじりの好きなピアノ弾き。音楽大学講師。かつて怒涛の十代を過ごした私が、やがて十代になる娘に宛てて書きます

よもぎ摘み

f:id:seikouusou:20220402104426j:image晴れた春休みの一日、多摩丘陵よもぎ団子作り体験に出かけた。子どもの頃、利根川の土手でよもぎ摘みをしている人はよく見かけたし、お手製よもぎ餅をいただいたこともあった。でも、実際どれがよもぎなのか分からず、いつか自分でと思いながら月日が経ち、やっと親子での体験として参加できた。

多摩センターからバスに揺られること15分位、車窓からお花見を楽しむうちに、ここも都内?という竹林に囲まれたのどかな里山農園に到着。初めは戸惑いがちだった娘も同い年の女の子と走り回って探検するうちにため池の斜面につくしんぼ発見!一年ぶりの"春"に興奮して必死になって摘んでいた。

そして、ガイドさんご指導の下、よもぎを摘み、熱湯で茹でて刻み、すり潰して餅粉と混ぜて丸めてお団子作り。茹でたてを餡子ときな粉で頂く。緑野菜が苦手な娘にはどうかな、と心配していたが自分で作ったお団子をあっという間にペロリ。よかった!

持ち帰ったつくしは袴を取って佃煮に、翌日の朝ごはんのお供に皆でいただきました。

ご馳走さまでした!

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継続は力なり

のんびりマイペースで牧歌的な?日々を送っていた娘は、昨年末の厳寒期から毎朝父親とジョギングをしている。布団から出る決心がつかないような寒い朝に、真っ暗な中を父子で走り始めて早3ヶ月。太っちょパパの健康管理にいいかな?とこちらも早起きして部屋を暖めたり送り出す準備を始めた頃は、親子共に早起きのつらさもあり、毎朝それぞれの葛藤を感じていた。でも、大雨の日以外は一日も休まずに走り続けること3ヶ月、タイムを伸ばし、距離を伸ばし、既に私は伴走できないレベルになっている。毎朝、当たり前のように走って着実に体力をつけ、3ヶ月前には見えなかった景色が見えてきた。

継続は力なりと言うけれど、本当に習慣が人を作ることを実感している。私も負けてはいられない。

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何になりたい?

大きくなったら何になりたい?

子どもの頃、何度聞かれただろうか。男の子はパイロットとか消防士とか、女の子は幼稚園の先生とかお花屋さんとかが多かったかな。小学生になっても聞かれた。その都度、何となく居心地の悪さを感じながらも、子どもなりに考えて当時の興味と関連した当たり障りのない返答をして切り抜けてきた。

何になりたいか?

子どもの頃は「夢は大きく」と言われ、少し大きくなると「将来の仕事につながる学びの選択を」と言われる。

今うちに来ている高校生の生徒は、音大に進むべきか否か、、とずいぶん迷っている。そうだよね。私もずいぶん悩んだな。音楽でご飯を食べていける自信なんてこれっぽっちもなかったから。

でも、やっぱり「何になりたいか」ではない気がする。どう在りたいか。日々、何を思って暮らしたいのか。人それぞれだけれど、本当に大事なことは何だろう?と問うてみると、自ずから進むべき道が見えてくる。

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世田谷美術館

 お昼ごろ雨のあがった日曜日「どうする?今からどこか行く?」と尋ねると「みんなで美術館に行きたい」と。急だったので近場の世田谷美術館へ。

 全く知らなかったグランマ・モーゼス展。最近目が悪くなって諸々あやふやな私は、冬景色の中で働き遊ぶ人々の絵が描かれた看板を遠目に見るとブリューゲルを思い出した(近寄って見ると似ていないが)。古き良きアメリカの慎ましくも愛おしい四季折々の暮らしが描かれていて、ターシャ・チューダーの世界にも通じるような。享年101歳、80歳を超えて絵がどんどん上手くなってる、とは夫の弁。おしゃれ好きの娘は、孫のために作られたワンピースが印象に残った様子。 そして、何にしても手を動かし身体を動かすこと!と再確認。

 それにしても、美術館巡りは休園アクティビティのひとつで最近は専ら娘と二人で出かけていたが、たまには家族揃ってもいい。気に入った絵を見つけると駆け出したり、近寄って見入ってしまう幼児(近寄り過ぎると注意されるのだ)をとっ捕まえようとハラハラせずにゆっくり歩ける。そして帰宅後みんなで感想を述べ合うのも楽しい。

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習い事考

f:id:seikouusou:20220215181707j:image 5歳の娘の習い事は、本人の意志で始めた楽器ひとつ。幼稚園のお友達で習い事3つ4つはあたり前、中には週5日習い事という強者も。娘は、私の仕事の都合で夕方まで幼稚園で預かっていただいているので、子ども同士の遊び場が確保されるのは有難い。それでも何度か「〇〇ちゃん、帰宅後習い事なしで何してるの?」と聞かれたことがある。何してるのって。。。

 ”よみかきそろばん”とか”ドレミ”とか、早く習い始めることで世界を広げたり深めたりできることはあるだろう。でも、文字やドレミを知る前の音や言葉の聞こえ方は、知った後の聞こえ方とは明らかに違うはず。形を与えられる前の混とんとした?世界でどれだけ遊んだか、、、ずっと先の豊かさにつながるような気がするのだが、はてさて。娘がおばあさんになるころには私はいないので答えは分からない。

 いずれにしても記譜された”西洋音楽”の歴史は、人類の歴史に比べたら大した長さではないし、平均律のドレミに分割された音楽の歴史も地球上のごく限られた地域のもの。と考えると、急いで教えることでもないと思う。画家も音楽家も、行きつくところまでいくと結局、原始時代とか辺境の地とかに題材を求めている。

 でも、、お利口さんなお友達とのお手紙交換のためにいつの間にか文字は覚えてしまったし、ドレミも同様。いやはや母としては嬉しさよりも寂しさが、、、人生100年時代と言われているのに所謂”子ども時代”がどんどん短くなって、人は何に向かっているのだろうか?

 

 

かぶ

このところ慌しくて買い物にも行けずストック根菜ばかりで青味が足りない、、、とベランダで忘れられつつあったカブを発掘。七草パックの「すずな」よりも貧弱な根っこだけれど、しっかりカブの味がする。採りたてはカブの葉サラダに、残りはさっと湯通ししてお浸しに。ささやかなベランダ菜園に助けられた。それにしても、ほうれん草も"サラダホウレンソウ"サイズにしかならず、日照か?土質か?肥料か? 

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たった一日でバッタのご馳走になってしまったコスモスの芽の教訓から、今回は防虫ネットを張って完全防備のプランターだったが少々残念。来年に向けて研究せねば。

娘の夢は「お庭の広いおうちに住むこと」「お花と果物がいっぱいのお庭が欲しい」と。畑や空き地の残る郊外育ちの私も、コンクリート砂漠のような所(都区内ではまずまず緑が残されているエリアとはいえ)に住んでいると本当に土が恋しくて、玄関前の鉢の花がらを摘んだり、季節毎に鉢を動かす算段をしたり、、がせめてもの慰め。水仙やチャーリップの芽も順調に育っている。春はもうすぐ。

可愛い子には旅?

折しも大学は試験期間。何年勤めても演奏に点数をつけることに慣れる日はこない。。

試験前に「大丈夫。頑張って!」と生徒を送り出す時、こちらも確信はない。でもこれ、子育ても同じなのかな。「信じて待つ」あるいは「信じて託す」

私自身、"手取り足取り"教えてくださる先生にも、"突き放す"先生にも教えていただいた。総じて"手取り足取り"の先生の生徒達の方が学生時代の成績は良かったような気もする。でも、長い目で見るとどうなのだろう?

"突き放す"先生の生徒達の方が、面白い人が多いのは確か。

「可愛い子には旅をさせよ」とも言われるように、目の前の子をよく観察してしっかり支えて導くべき時、あえて突き放すべき時を見極められるようになりたい。

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